星との出会い

 中学のころから星に興味を持ち始め、もうかれこれ35年あまりが経つ。(あー、年だなあもう)
直接のきっかけは、中学三年の夏、火星の大接近だったが、その2年前のアポロ11号、初の人類月着陸が、星に目を向けさせた、最初の出会いだったような気がする。
 1969年夏、アポロ11号がケネディ大統領の公約(60年代にアメリカは月に人間を送り込む)通り、アームストロング船長が人類最初の一歩を月面に記した。その模様は全世界に生中継され、私も一晩中、テレビに見入っていた。あのぴょんぴょんと飛び跳ねながら歩く姿は非常に印象的だった。
 それ以後、星、宇宙への興味がビッグバンのように膨れていった。だが、高価な望遠鏡など買ってもらえるはずもなく、こつこつと小遣い、お年玉を貯めるしかなかった。
 そうして中学三年の夏、火星の大接近を迎えた。新聞も大きく取り上げ、巷では、望遠鏡が飛ぶように売れた
らしい。だが私の望遠鏡資金はこの時期にはまだ充分ではなかった。
 このころ、隣町に住むいとこが、望遠鏡を買ったという話を聞いた。夏休みということもあって、見せてもらいに泊まりに行った。確か6cm級の経緯台屈折だったと思う。それで、夜、接近中の赤い火星を見た。
が、あまりにも貧弱だった。それまでの知識から、ある程度予想はしていた。火星は最も見るのが難しい惑星で、この程度の口径の望遠鏡では歯が立たない、ということを。だが、その予想以下だった。
多分、その辺のデパートかどこかで売られている、安物の望遠鏡だったのだと思う。火星はただの赤い点にしか見えなった。いとこはそんな私の落胆振りが気になったのか、星雲や星団を視野に入れて見せてくれたが、私にとってはこちらの方がはるかに興味深いものであった。生まれて初めて見た、「宇宙」との出会いでもあった。
 高校に入って、すぐに貯まった貯金で望遠鏡を手に入れた。アストロ製LN4Eという10cm反射赤道儀で、三脚でなくピラー脚仕様のものだった。嬉しくて、晴れていれば毎晩のように、庭で星を見ていた記憶がある。クラブも理化部天文班というサークルに入り、仲間と見る星見の楽しさを知った。星仲間もここを通じて広がっていった。このサークルこそが後の私の天文活動の原点であり、「俺たちの旅」の始まりだった。
 夏になると合宿を行い、仲間同士の親睦も深まっていった。キャンプ生活を味わったのも、このサークルを通じてである。寝食を共にすることによってしか知り得ないことがあること、一人ではできそうもないこと、続きそうもないことが仲間がいることによって、可能になること、そんな授業では学べないことを教えてくれたサークルだった。
 高校1年、2年は学校屋上で、2〜3拍の合宿を行った。他の体育系クラブ同様、教室が宿泊用に割り当てられ、
貸し布団屋が運んだ布団を屋上に運び、その上に寝転んで流星観測をしたが、夜明けまでには夜露でびっしょりに
なってしまった。水分を含んで重たくなっていたので、そのまま屋上で布団を干すことにしたが、夕方までにはほっかほっかの羽毛布団なみになっていた。
 高校3年には、八千穂高原国鉄(当時はまだJRではなかった)キャンプ場で、3泊4日の合宿を行った。今でこそ、アウトドアキャンプなんてかっこよく聞こえるが、当時の我々には、経済的にも安上がりなキャンプ生活しか手段がなかった。キャンプ道具も今とは雲泥の差で、決して楽なものではなかったが、それなりに楽しかった気がするのは、そんなことまでも楽しさに変えてしまう若さゆえの力かもしれない。
 晴れたのは初日だけだったが、恐ろしいほどの星空であった。吸い込まれそうな、ちょっと怖い感じのする星空、その後いろんな星空を見てきたが、生まれて初めて見たこともあって、ここの空が一番思い出深い。
この八千穂高原という場所は、後の天文同好会、「八千星の会〜やちぼしの会〜」ゆかりの地でもある。当時は
この地がそんなことになるとは思っても見なかったが、縁とは奇なものである。
 大学受験ではあったが、文化祭や、星見に精を出し、結果見事浪人となった。現役で合格した者との「差」を感じ
しばらく星から遠ざかることになった。そしてまじめな予備校生として規則正しい生活を送り、一年後には無事大学生となることができたが、この1年間は非常に中身の濃い1年であったような気がする。              予備校では高校のクラスメートと同じ教室だったこともあり、浪人開始と同時に放送が始まった、TVドラマ、「俺たちの旅」について毎週、激論を交わしたりしていた。このTVドラマには随分と影響を受けた。          特に、中村雅俊扮する”カースケ”の生き方には憧れに近いものを感じていた。このドラマ、放送終了後も10年後、20年後、30年後、記念番組が作成されている。                                

 大学入学後、高校の理化部天文班が母体となって、地域天文同好会「八千星の会〜やちぼしのかい〜」を有志らとともに発足させ、天文の活動拠点とした。私の大学生活はこの同好会が中心と言っても過言ではないくらい、心血を注いで天文活動を行った。卒業とともに活動も休止状態となり、20数年が過ぎたが、ネットの普及と同時に、新たな活動を行っていこうと、ホームページ、メーリングリスト、などを立ち上げ、1997年活動を再開した。        この会の模様は、下記の八千星の会ホームページを参照していただきたい。発足からの活動状況をほぼすべてを網羅してある。                                                                  

 
発足から四半世紀の天文同好会(ホームページ制作を担当) 八千星の会ホームページ


<つづく>


 




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