やっぱ健康って大事 |
2004,6,19〜28 |
Last Update:2004、6、28
2004年6月18日、前日からの喉の痛みが消えないので、 地元の総合病院の耳鼻咽喉科を尋ねる。この時すでに、唾液を飲み込む こともできないほどであった。普通のかぜではないと思っていたが、、。 診断は、「咽頭炎」というものらしく、ウィルス性ではなく菌によるも のなので抗生物質は効かない、点滴と治癒力で直すしかないと言われた。 なぜかその日はいったん、帰宅した。 だが翌日、さらに症状は悪化している感じであった。熱も高い。 もう入院する気持ちで、再度訪れる。 後で分かったことだが、確かに前日より悪化し、白血球の数が3万くらい ー通常8千〜9千ーに爆増していた。 問題は部屋が空いているかどうかであったが、個室が空いていたので とりあえずそこにした。 私にとって20数年ぶりの入院生活が始まった。 入院と言うと、いつだったろうか、、、そうあれは確か20代半ばくらいの時、血尿が出たので、検査入院した。 あの時は2週間くらいだった気がする。結局、異常なしで退院したが、周りは病人ばかりの中で、やたら元気だったのがおかしかった。かかったのが泌尿器科だったので、尿道・尿管結石とかの患者が多かった。一晩中苦しむ彼らの姿に、絶対経験したくないと思った。それ以後、ほうれん草と鰹節は必ずいっしょに食っている。 |
初日(19日)はあまりの痛さのため、ただぐっと点滴に 頼る。唾液を飲むことも、水分を取ることもかなわず。 点滴のしずくを痛みに耐えながら、 「ああ、ただの水でいいから思い切り飲みたい。」 心底そう思った。 翌日になると、ぐっと楽になり、重湯(おもゆ)も喉を 通るようになる。 口から物が食える喜びをひしひしと感じた瞬間である。 しかし、重湯なんつうもんを見るのも初めて、食うのも もちろん初めてである。それとお吸い物。ところがこれが まためちゃんこうまかった。 真冬の星見時の夜食カップめんに匹敵、 それ以上かもしれないと、その時は思った。 だが、喉は通るが、染みること染みること。 ひとくち、ひとくち噛みしめながら飲み込んだ。 |
日を追って良くなって行くのが分かる。 だが、まだ冷たい水や、ジュースなどの柑橘系飲み物などが染みることに変わりはない。 普段何にも思ってないが、果物というのは結構「刺激物」なんだと気づく。 逆に、煮魚とか煮物など日本古来の「和食」というのはなんて”体にやさしい”んだろうと痛感する。 入院前あった高熱も入院後はまったく上がらず、個室ということもあいまって結構快適な生活を送ることができる ようになった。入院翌日から、家内を説き伏せて、ノートPC、デジカメ類を持ってきてもらった。 いやいや、まったくもって、思わぬ時に思わぬところで役立つことになったノートPC。 こんなホームページを作りながら、療養するなんて、うむむ、、時代も変わったものだ。 4日目から重湯から3分粥になった。上澄みの下に、情けないくらいのご飯粒がよどんでいる。 それでもよっぽどましだ。これらの食事は、口から物を食べる訓練のようなものなので、別に食べなくても、 栄養失調や脱水症状で死ぬことはない。栄養は、毎日6時間の点滴が補ってくれている。 しかし、水分はそれでも足りないと言う話だ。普段知らないうちに、随分補給しているんだなと思った。 4日目の22日は、坊主が修学旅行に出発する日だ。前日、電話で、「土産買って病院へ持っていくからよ。」 当日も元気に出発したようだ。直前に私が入院することになって、少なからず、心配をかけた形になってしまった。 週末の台風6号が過ぎて、猛暑の台風一過、気持ちよい天気が続いた。 食事も5日目から5分粥になり、おかずも少量ずつであるが増えてきた。依然として、染みることに変わりがないが。デザートにパインの缶詰が出て、やった!と思ったのだが、あのすっぱさが思いっきり喉を刺激し、 飛び上がらんばかりだった。残すのも癪だし、もったいないので、お粥、お吸い物といっしょに食べた。 23日午後、個室から6人の大部屋に移った。個室はやはり快適ではあるが、点滴だけの治療に1日2万ん千円 は高い。最初から大部屋が希望だったが、空きがなかったため、個室の快適さを知ってしまうことになった。 価格的には約十分の一の値段である。それでも、ネットもでき(本来はいけないのだろうが)、慣れればOKで ある。 |
個室 310号室 ホテル並みの快適さだった。 | ||||
大部屋 212号室 住めば都、慣れればOK | ||||
6月25日 家族で。坊主、修学旅行から無事帰る。 | ||||
6、19(土) | 入院。菌による「咽頭炎」と診断。高熱と喉の痛さにうなされる。個室。 |
6、20(日) | 熱が下がり、重湯も喉を通り始める。ノートPCを持ち込む。 |
6、21(月) | 台風6号が各地に猛威を振るった。私の病も台風みたいなものだ。 |
6、22(火) | 重湯から3分粥に。台風一過の晴天。坊主、修学旅行出発。 |
6、23(水) | 3分から5分粥に。午後、個室から大部屋(6人)に引越し。 さすがにこの夜は、寝つきが悪かった。 |
6、24(木) | 夕食から全粥に。坊主修学旅行から帰宅。 |
6、25(金) | 坊主、見舞いに来る。 |
6、26(土) | 昼食に初めて麺類が出た。けんちんうどん?などというけったいな名称だ。 でも、それなりにうまい。みかんが出て、すっぱくて染みるかと思ったが、 ほとんど平気だった。 |
6、27(日) | 朝夕の点滴のみになったので、院内(特に屋上)を探検、デジカメで撮影する。 屋上に祠があった。午後、坊主ともいっしょに行ってみた。 |
6、28(月) | ようやく退院、予定、、。 午後2時過ぎ、無事退院。ちょうど10日間でした。 いろんなことを考えさせられた10日間だった。 しかし、やっぱ「健康が一番、すべては健康から。」を痛切に感じた入院だった。 いろんな方にご迷惑をおかけした。お礼申し上げます。 |
合成パノラマ |
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6月28日 院 内 散 策 Part2 | |||
得てしておいしくない代名詞みたいに言われる 病院の食事。 だが、病人にとって唯一許された食事であり、 うまいまずいより、食べること、食べられること、の意義を 痛切に感じさせてくれるのが、病院の食事だ。 初めて喉を潤す一杯のお吸い物のうまさは、筆舌に尽くし難いものがある。 |
6月22日夕 3分粥、おろし煮魚、 茶碗蒸し、清汁、乳製品 6月23日朝 5分粥、みそ汁、煮浸し 佃煮、乳製品 |
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6月22日夕食 3分粥 | 6月23日朝食 5分粥 | |
6月23日昼 5分粥、魚グラタン、 そぼろ煮、清汁、フルーツ 個室から大部屋に移る 6月23日夕 5分粥、寄せ焼き卵 煮付け、清汁、乳製品 |
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6月23日昼食 5分粥 | 6月23日夕食 5分粥 | |
6月24日朝 5分粥、みそ汁、煮浸し 煮付け、乳製品 やっと全粥だ! 6月24日夕 全粥、煮魚、冷奴 芋煮つけ、清汁 |
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6月24日朝食 5分粥 | 6月24日夕食 全粥 | |
6月25日朝 全粥、みそ汁、煮付け 煮豆、乳製品 6月25日昼 全粥、シチュー フレンチサラダ、フルーツ |
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6月25日朝食 全粥 | 6月25日昼食 全粥 | |
6月25日夕 全粥、塩焼き、清汁 ミニ濃口正油、炒り豆腐 6月26日朝 全粥、みそ汁、塩もみ 厚焼き卵、佃煮、乳製品 |
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6月25日夕食 全粥 | 6月26日朝食 全粥 | |
6月26日昼 けんちんうどん、白煮 フルーツ、初めての麺類。 6月26日夕 全粥、煮付け、スープ 肉ボール野菜あんかけ |
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6月26日昼食 全粥 | 6月26日夕食 全粥 | |
6月27日朝 全粥、みそ汁、浸し おろし和え、梅干、乳製品 6月27日夕 全粥、卵とじ、浸し 清汁、フルーツ |
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6月27日朝食 全粥 | 6月27日昼食 全粥 | |
6月27日夕 全粥、魚バター焼 ポテトサラダ、清汁 6月28日朝 全粥、みそ汁、煮付け 半熟卵、ミニ濃口正油 |
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6月27日夕食 全粥 | 6月28日朝食 全粥 | |
6月28日昼 全粥、煮魚、ゴマ和え 変わりきんとん、清汁、 フルーツ |
何はともあれ、 無事退院することができました。 健康のありがたさを改めて感じた 10日間でした。 |
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6月28日昼食 全粥 |